monolog

いつかは消えてしまうかもしれない想い、場所、出来事の記録の日々
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あなたの子供を辞めました



著者:中井宏美
発行:マガジンハウス

親を殺すくらいなら、親の存在に苦しめられるくらいなら、世間の誰がとがめようと、絶縁を考えるべきではないだろうか



日本ではこれだけ虐待問題が深刻なのにもかかわらず
未だに親の側からしか物事を見つめてくれない発言や制度が多いゆえに
著者の中井さんが発してくれるシンプルで正直なこの言葉に、
とても救われた気がしました。

彼女の絶縁が完成したきっかけになった
母親からの手紙を読んでいたら、毒親って最後まで毒親なのだなと。
世間の目を気にして、何もかもが打算的で、平気で嘘をつき、
そして、自分からなぜ子供が離れていったのかというのを
全く理解しておらず、最後には必ず、精神的に絶縁したところで
法的には出来ないそうですよと、法律的には完全な他人にはなれないという
そのことをなぜか主張したがるのは、これはどんな毒親も
同じことを言うのだなと苦笑いしてしまった。

著者の中井さんとアタシの親の反応は一見、違うタイプの毒親に見えつつも
「毒になる親」のスーザンさんが言っているように実は正反対の反応でも
同じなのだということがわかってきて、とにかくこの本を読んでいると
ある意味、本当に似ていて、思わず自分の親のことを思い出してしまった。
それゆえ、フラッシュバックしてきてしまい、中井さんの体験と
自分の体験を同時に受けとめる感じになるので、時々読むのが辛くなる反面
一種の分かち合いのような肩の荷がおりたような開放感も感じられ、
どんな形でも、文字でもいいから吐き出すことはイイことなのかもしれないと
そんな風にも思えてきたのです。

人間って、どうしてこうもメンドクサイことになってしまうのだろう。
子供は生まれてくる場所も親も選べない。
宇宙からみたらあっという間の生の時間。
出来れば心からの笑顔あふれる日々でいたいはずなのに。
アタシたちは、突然ヒステリックに殴られるために生まれてきたんじゃない。
自分の時間すべてを親姉妹のために捧げるために生まれてきたのではない。
奴隷じゃない、自殺をしろと言われ、自殺をしたいと思うために生まれてきたのではない。
人の悪口や差別や罵りを聞くためにこの耳があるのではない。
外ズラだけがよくて泣き落としがうまくて嘘ばかりなくせに
ウチの中では子供を殺しにかかってくるような顔を見るための目があるのではない。
この体と心は怯えるために存在しているのではない。

人それぞれ、人生いろいろ、色んな生き方があり、色んな選択がある。
その中で、絶縁を肯定してくれる人がいてくれる・・
そう思えるだけでも、励みになりました。読んでよかった、です。

毒になる親



著者:スーザン・フォワード
訳者:玉置 悟
発行:講談社

許さなくてもいい、という救い。

たった今、読み終わった瞬間に思ったこと・・
どうしてもっと早くにこの本に出逢っていなかったのだろう・・
そしたら、もう少し、生き方が違っていたかもしれない、と。

許すということは罪をなかったことにしてしまうことで、
それは泣き寝入りと同じことなのですよね。
でも、許せないことを許してくれないことが多すぎて。
知らない人は言う。あまりにも簡単にその言葉を言う。
許しなさい、と。たとえ、何かあっても、色々あったろうけれど
もうアナタも世間では親になるようないい歳になったのだから
許してあげなよ、許したら自分も楽になるよとか
悪いことばかりじゃなくて、いいところもあったでしょ?
何はともあれ親は親だよ、産んでくれて育ててくれたのだから、
もう憎しみは手放しなさい、憎しみから解放されなさい・・と。

勝手に産みおとされ、彼らのいいように利用され
生きているのに、人格が無視され物扱いだった。
尊厳をズタズタにされた数えきれない事実にはフタをして
忘れなさいと、許しなさい、ということばかり。

思えばいつも言われていた、なぜそんなに自分を卑下するの?と。
その理由も、何もかも、この本に記されていることがあまりにもドンピシャで
おまけに、あまりにも自分の親が毒親にあてはまりすぎて
読み進めば進むほど、すべての細胞が目を覚ましていくようだった。
訳してくれた玉置さんの言葉からスーザン・フォワードさんの声が心の奥底まで届く。
ただの絵空事のその場しのぎの癒しではなく、
現実的な解決方法が提案されていて、それが出来るか出来ないかは別として
今まで疑心でパンパンになりながら生きてきた何十年という年月の
無視されてきた自分自身の中にあるドロドロになった憎悪や
行き場のない哀しみや、失われた日々に少しずつ陽があたっていくような
どこか生命力に似たものに触れたような気持ちになる。

スーザンさんは言う。
「毒になる親」を許す必要はないということを。
許すということの落とし穴。なかったことにしてしまうことの危なさ。
許さなくても(許さない方が)心の健康と平和はとりもどせることを
わかりやすく細やかに語ってくれている。それは訳者の方の細やかさでもある。
あとがきにそれが現れていて、思わず、そうそうと頷くことばかりだった。
もう、オリジナルは16年以上も前、文庫でも15年も前の本なのに
今でも頷くことばかり。特に心理的虐待については未だに日本は後進国だと思う。

この本では、たとえ、親が年老いて死んでしまっていても
子供が大人になって年老いても、永遠に苦しむということを記しています。
毒親は、治りません。きっと、自分の罪にすら気が付きません。
おまけに酷い仕打ちや言葉はなかったことに、言わなかったことになります。
ですから、彼らを変えることを期待するのは無駄なのです。
そもそも、彼らが自分のしたことを理解しているような人間だったら
毒親にはなっていないからです。
それより、自分を解放しましょう。自分が変わりましょう。
もう、棄てればいい。日本では完璧な絶縁が無理でも、
そんなことは怖くありません。紙切れのことです。紙面上のことでしかありません。
精神的に、そして実質的に完全スルーで絶縁すればいいのです。
怒りと哀しみを正面から受け入れ誰になんと言われようと許してはいけない。
しかし、復讐することではない。許すということはなかったことになってしまうのだから。
傷つけられたこと、身体的、心理的、どんな形でもそれは暴力なのだということ。
その責任の行方は傷つけた方にあり、傷つけられた方ではないのだから。
この人生、たった一度きりのかけがえのない人生。時間がもったいないのです。
自分が自分であるために。自分を取り戻すために。
この本に出逢えて少しだけ気持ちが晴れたのは大きな一歩です。
励みになりました。

天国の五人

原題:The Five People You Meet In Heaven
著者:ミッチ・アルボム
訳者:小田島則子、小田島恒志


この本は有名な本らしくてドラマ化までされたらしいのですが、
例のごとく世間の流行りとはまったく関係のないところで
生きている自分にとっては、今がはじめての出逢いでした。
読んでみたいと思ったのも、たまたまの偶然の出来事だったのですが、
なんとなく読んでみたくなったのです。読んでみてよかったです。
暑い日でも、サラリと読めるシンプルでいい本です。

物語は遊園地のメンテナスの仕事をしている83歳のエディが
遊園地の事故で亡くなるところから始まります。
人生の終わりが物語の始まり。彼の死後に彼が出逢う5人の人たちとの話。
この設定が面白いと同時に出逢う人たちがエディが
強く記憶に残っている人たちばかりではない所もユニークなのです。
彼が一番最初に出逢うのはブルーマンという男の人。
ブルーマンは言います。

我々はみな君の人生になんらかの理由でかかわった人間だ。
君は気づいてなかったかもしれないが。だからこその天国なんだ。
地上にいたころの人生を理解するためのね


そして、2人目に出逢う人はエディが若い時に戦争に行った時の大尉。
3人目がルビーという女性。そして4人目はエディの愛妻だったマーガリート。
それぞれがエディと同じ体験だけれどエディとは違う視点から観た
想いや出来事をエディ側とは違う真実などを語ってくれます。
そして最後・・5人目。アタシはここで泣いてしまいました。
そっか、エディがずっと感じていた手のぬくもり。そういうことなのか・・と。

人は皆、忘れたいことがある。思い出したくない過去もある。
誰かを傷つけ、時代のせいにして、自分の人生はつまらなくて
生きている意味も何もないと思いながらも日々を過ごして
ため息、あきらめ、それでも生きる。そして、思いがけない時に死がやってくる。
明日も平気であると思ったら大間違いなのに、明日もあると思って今を楽しむのを忘れて。

逢ったことがなくても、少し顔を観るだけでも、
時代が違っていて自分が生きている時には出逢っていなくても
繋がっている。人と人。命と命。何かで必ず繋がっている。
アタシたちは人それぞれで、まったく別の人生を歩んでいる。
だけれど、繋がっているのですね。

親は誰でもみな自分の子供を傷つける。それは避けられない。
子供は新品の硝子と同じで、それを手にした人の指紋がつく。
汚れがつくだけのこともあれば、欠けることもあれば、
場合によっては修復不可能なまでに粉砕し尽くされることもある。



この本に書かれていること、痛いほどわかる。
それでも人間はどうしても赦せないこともある。
そして、赦されないこともある。
だけど、繋がっている。そして、明日は来ないかもしれない。
そう思ったら、もっと笑っていたいと思った。
通り過ぎて行くすべての命たちのために。そして、自分のために。
どんなにささやかでもいい。つまらないことなど、何もない。
そんな風に一瞬だけでも思えるような、気持ちが楽になる本です。

御馳走帖

著者 :内田百閒
発行者:鈴木正
印刷者:川上貞司
発行所:榜葛剌屋書房

図書館に本を予約しておくと
時々、ものすごい年代物の本が用意して下さる時がある。
たぶん、何冊か同じのがあるのにタイトルだけで
選んでしまうから自分で気がつかないうちに
古いものを頼んでしまうのかもだけれど
そんな時はなんだか得した気分になる。
いつだったかまだ図書カードがあった時代のものが
本の最後にいっぱい貼ってあったりして
見知らぬ方の名前があったり、棒線がひっぱってあったり、
何やら文字が記載してあったり、愉しいの。
一冊の本から、本の内容だけじゃない、
さまざまなものをもらった気持ちになるから
図書館で借りたり、古本が好きなのかもしれません。

以前から読んでみたかった百先生の「御馳走帖」も
図書館検索して最初に出てきたものを頼んでおいたのでした。
そうしたら、なかなか味わいのある表紙で藁半紙。
思わず巻末の印刷と発行の年を観ると昭和21年初版になっている。
まさか初版を読むことが出来るなんて思ってもいなかった。
今から66年も前の本が大切にされていることも感動しちゃう。
デザインもレトロで素敵なので思わずパシャリ。

内田百先生の御馳走帖

レトロ


興味深い目次がいっぱい


昭和二十一年発行。初版

というかこの本の感想云々よりも何よりも
この本の存在そのものに感動しちゃったので(笑)
感想はまた後でゆっくりメモるとして
昔の言葉で記されていて慣れないと読むの面倒かもですが
これはすっと読めましたよ。たぶん、百先生の魅力が満載だからかも。
シニカルでユニークな食べもの記です。食いしん坊はぜひ!

中区わが街 中区地区沿革外史

発行:“中区わが街”刊行委員会
   
このブログではどんなキーワードで
このブログに辿り着いてくださったのか管理ページで
キーワード検索の結果がわかるようになっています。
最近ダントツに多いのが“マーク・カネムラ”というキーワード。
レディ・ガガさんが来日したせいでせうか?数もすごくて、
ちとビックリしてます。普段はこのブログ閑古鳥ないているので(笑)
なので、せっかくなのでマークさんのことを少しだけアレしますと
彼は現在、彼女のバックダンサーとして頑張っているのですが
ダンス好きの中で有名になったのはアメリカン・ダンスアイドル(アメダン)こと
「So You Think You Can Dance?」という全米の視聴者が投票する
ダンス番組でシーズン4のトップ6まで残ったダンサーだったからだと思います。
(実は後にMJの「THIS IS IT」のオーデションにも行っていたことが
 同名タイトルのDVDの特典映像でわかったりもします)
それで、ちょうどそのS4のトップ6の時にゲストシンガーで
来ていたのがレディ・ガガさんなので、もしかして?って感じですよね。
マーク・カネムラさんは、課題のルーティンなどでは
タピナポの振付したリリカルヒップホップ意外は
個人的にはそんなに印象に残るダンサーではなかったのですが、
ボトムやフリーのソロの時にとても個性的で楽しかったダンサーでした。
あとは、アタシのお気に入りのS5のトップ8のジェイソンのことを
S5の感想聞かれたインタビューで褒めてくれていたので嬉しかったりしました。
昨年は仕事も一緒にしていたみたいです。→コチラ その他彼については
カテゴリー“DT JG SYTYCD その他のダンス・舞台雑記”の
アメダン記のS4のところでちょこちょこふれている思います。
あくまでも感想は主観です。聞くところによると今回の来日で
スマスマ(それで検索率多いのか・笑)にもレディ・ガガさんの
ミニショーみたいのがありダンサーとして目立っていたみたいで
ちょこっと某動画で観たけど、カッコ良かったけど、
ちゃんと本放送を観てないのでメモってません。すんません。

・・って、やけに前置きが長くなったのですが(汗)、

実は、以前キーワード検索で“安楽園 孫文”というのが
集中的に結果に出た時期がありました。なんのことだろう。
確かに孫文は中華街とは縁があったらしいけれど
なぜ、安楽園?と思い、逆にこちらから検索をしてみたら
「中区わが街 中区地区沿革外史」という本に辿り着いたのです。
さっそく図書館で借りてきて読んでみました。
この本は、中区に在住していた町内会などの方たちから
聞いた話をテープにおこして一冊の本にまとめたもので
発行が昭和61年なので今から26年も前なので
ここでお話をしてくださった方たちは、もしかしたら
ほとんど亡くなられているかもしれません。
でも、今、自分がよく行く場所などのことが出てくると
一本の道もひとつの川も何もかもが歴史なんだと
しみじみ感じました。とても読んでみたかった
孫文と安楽園の関係は孫文が日本に亡命していた時に
横浜中華街の安楽園のすぐ裏に住んでいたというだけで
詳しいことは記してなかったのですが、逆に想像力を
かきたてられました。きっと安楽園のメニューも
孫文さんは食していたかもしれませんよね。
そう思うと、歴史が深いお店だったとしみじみ感じました。

壮絶だと思ったのは、横浜大空襲。
広島と長崎のことや沖縄や東京のことは
映画になったり本になったりドラマになったりして
その哀しい歴史とふれる機会も多いと思うのですが
横浜大空襲のことはあまり映画やドラマ、
ニュースなどで語ってもらえることがないせいか
横浜が大変だったことなど、ピンとこない世代もあると思うのです。
でも、この本を読むと、その時のあまりの悲惨さに
思わず息をのんでしまいました。
というのも、よく通る道なのです。たくさんの方が亡くなった場所。
そして、亡骸のひとりひとりをひとりで燃やして壺にいれて
ご家族を探してわたしたかたのことが記されている場所も。
関東大震災の時の横浜も悲惨だったけれど震災よりも
戦災の方がもっとひどくてねぇ・・と、どちらも実際に
体験した方たちの言葉はシンプルであればあるほど深くて重いです。

あとは、今は閉館してしまったオデヲンは
オーナーが外国人で当時は映画の封切りが全部そこで
東京よりも横浜が中心だったこと。
その他芝居小屋なども豊富で映画や芝居の芸術が
かなり盛んでハイカラな街だったらしいです。
震災や戦災をのりこえたところもあるけれど
つぶれてしまったところも多かったらしいです。
食べ物では中華なのか、洋食なのかわからんものが登場したり。
その他、進駐軍に接収されていた時のことや、
赤ひげのような先生がいたこと、くじら横町のこと
都橋の交番のこと、馬のための水飲み場のこと
牛が涙を流すことなど、色んな方が思い出すままに
お話してくれたことを記してくれているので
ほんとに、生きた言葉や思いがそこにあるようでした。
野毛を通る方だったら馴染みのある仏具店の関さんは
一番古いそうです。最後に思い出しながら当時の地図を
それぞれ書いてくれたのをまとめてあるページがあって
今もある場所ないかなと探してみると、時々買いに行く
お煎餅屋さんの花見煎餅の名があったりして、嬉しいです。
そういえば一緒にお店の中にいたお客さんが、ここは
100年以上もやっているお店なんだよと教えてくれたことありました。
アタシはモールではなくモールの入り口近くの
老紳士がお店番をしてくれているところに行くのですが
いつも小さな袋をオマケしてくれるんですよね。
そのどれもが美味しいです。いつだったか
お茶碗とかも外のワゴンで売っていて2つほど買ったことあります。
200円くらいの気さくで使いやすい茶碗です。

・・って、何で閉めていいのかわからんほど
興味深い内容がたくさんありました。
すべてのことは今と繋がっていると、しみじみ感じました。

3.11から色々あり続ける今だからこそ読んでみてよかったです。
だって誰もが絶望するような震災や戦災があって、
苦しみのまん真ん中を歩んで、それでも、横浜は消えずにここにある。
そう思えただけでも全然違うから。人々はそれでも生きてきたのだから。

「一日江戸人」と「JIN-仁-」を同時に味わう

江戸からタイムスリップしてきて
江戸の息吹をたくさん食べさせてくれて
さんざん皆を楽しませてくれた後に、
あっという間に江戸に帰ってしまった
儚くも粋だった杉浦日向子さん。
江戸を生きた言葉で語らせたら杉浦さんの
右も左も斜めも上も下もいないよって思うってくらいです。
彼女の本は江戸ものでも、蕎麦や菓子なんかでも
もちろん漫画も、なにもかも面白くて
アタシの中では一冊も一文字もハズレがない。

そんな杉浦さんの楽しい本たちの中でも
江戸入門書とでもいうべきの「一日江戸人」は
江戸っ子の呑気で粋な生き様が愉快に語られています。
本を読んでいるうちに、杉浦さんじゃないけれど
アタシの呑気な短気(笑)さ加減も、案外
江戸人ゆずりなのかもしんねぇなぁと、思いはじめました(笑)
それと同時に、今の時代、なんだか堅苦しくて生きにくいのは
そのせいかもと本を読み進んでいくうちに思ったです(苦笑)
ちなみに、江戸ッ子度十八のチェックでアタシは十五だった。
ってことは、江戸ッ子の末裔の東京ッ子を
名乗る資格があるそうでありんす(笑)

本の中ではもちろん「食」についても楽しく語られていて、
その中のレシピ、<その名もめでたい「合歓どうふ」>
<風呂吹きよりウマイ「林巻大根」> そして、
<おつまみスナック「霰どうふ」>を挑戦して喰らう。
一応「合歓とうふ」のつもり・・ これも、「林巻大根」のつもり・・
「霰とうふ」のつもりがただの揚げ豆腐になってしまった(汗)
でも、「合歓どうふ」は、お餅がぐらぐらお豆腐から落ちてしまい
「林巻大根」は、不器用なので大根のかつらむきが
上手く出来なくて観た目ゴツゴツになっちゃって
「霰どうふ」にいたっては、ザルで豆腐の水分を
飛ばしているうちに、だんだんめんどっちくなってきて
途中で油に突入してしまった(すんません・笑)
なので、本の通りに作れず見た目は悪いんだけれど
美味しいよ(強がり・笑) 特に林巻豆腐は、風呂吹きより好きかも。
江戸の食べ方や作り方ってシンプルな中にどこか手間があって面白い。

それで、たまたま先々週から始まっている「JIN-仁-」という
ドラマに興味をもって観続けているのだけれど
そこでも、「一日江戸人」を読んでいると思わず
ニヤリとしてしまうエピソードがたくさんあって
ドラマも面白いけれど、江戸ファンにとっても面白い。
たとえば大沢さん演じる仁が江戸にタイムスリップしてきて
ご飯を食べさせてもらう場面で山盛りのご飯に
驚く場面があるのですが、やっぱり「一日江戸人」にも
山盛りのご飯の杉浦さんの絵と解説が載っていて
それは何度も蒸し返して炊いて
コテコテに山盛りにする強飯のことなので
ドラマの中での山盛りの意味とは少し違うのかもだけれど、
観た瞬間、本の山盛りの絵を思い出したの(笑)

それと、やはり黒米いなりが気になりますね。
それで、さっそくセブンイレブンで買ってきて食べちゃいました。
「JIN」に登場する黒米いなりを食べてみる もちもち甘くてなかなか美味しい
甘くて美味しいです。ドラマも、何年振りだろう、
それこそ、濱マイク以来かもです、こんな風に
毎週欠かさず観ようと思えるものに出逢えたのは。
主役の南方仁を演じている大沢さんがいいなぁ。
アタシ、大沢さんといえば
「劇的紀行 深夜特急」なんだよなぁ(古いかな・笑)
香港編が好きでして。香港と言えば、
スタンリー・クワン監督の『異邦人たち』とかも好き。
これはアタシの好きなウィリアム・チョン氏が美術を担当なの。
それから、岩井監督の『リリイシュッシュのすべて』では
ヘンテコな旅人演じていたなぁ・・って感じで
結構、大沢さんそのものは好みなんだけれど、
自分が観たくなるような好みの映画やドラマに
あんまり出てくれない感じで、好みの俳優さんなのに
彼が参加している作品そのものは、そんなに観てないのだけれど(笑)
でも、「JIN-仁-」は、久しぶりに毎週楽しみなドラマです。
来週も、フィギュアスケートの中国杯と
かぶってしまいそうだけれどなんとか観たいな。

いつか、江戸にタイムスリップしたい(笑)
でも、タエさんみたいに枝豆をお礼に
持って行った帰り道にあんなことになるかもだから
気さくで呑気だけれど、物騒でもある時代かも。
でも、長屋の暮らしは憧れる。音に過敏すぎて
ギスギスしている今の時代は堅苦しくてやってられないよ。

おばあちゃん ひとり せんそうごっこ

文:谷川俊太郎
絵:三輪滋
発行所:(株)プラネットジアーズ

おばあちゃん ひとり せんそうごっこ

少しずつ秋っぽくなってきて
ゆっくり何かを読みたくなり・・・
でも、まだ汗ばむ季節。そんな時には、
ガツンとパンチのある絵本などを。

ばるん舎より刊行されていた
「シリーズ・小さなつぶやき」という
詩人の谷川俊太郎さんが文を書き、
イラストレーターの三輪滋さんが
絵を描くという形で1970年代に出版され、
伝説となっていた絵本がありました。
この絵本は、その中の「おばあちゃん」、
「ひとり」、「せんそうごっこ」の三冊を合本し
復刊してくれた本です。
この文章にこの絵。この絵にこの文章。
まさにこの二人だからこそ生まれた絵本です。

「おばあちゃん GRANDMA」
寝たきりで認知症のおばあちゃんのことを
“ぼく”の視点から見つめている話。
すごいです。シビアです。生きる哀しさ。
というより、生きるって息をすることなのか
それとも、生きることなのか。宇宙人なのか・・。

「ひとり ONLY ONE ME」
“ぼくは ぼくだ みんなとちがう”
この話、すごく好きです。
ひとりが好きな想像力豊かな
少年の心を描いていて、人々の
<こうあるべき> という偏見に対して
ひとりひとり別々の感性があること、
それぞれの価値観を尊重しようという哲学と
自分と価値観が違うだけで、相手を変わり者と
決め付け、いじめを生む世の中に対して
ひとりひとりがかけがえのない存在で
自分らしく生きる権利があることを伝えてくれる話。

「せんそうごっこ PLAYING WAR」
強烈。ゴダールの『カラビニエ』の世界みたい。
もう、ただ文章を読んでほしい。
そして絵を眺めてほしい。

1970年代から80年代に生まれた絵本。
トッポイです。すげぇ!です。

そんなガツンとインパクトのある本の後は
卵サンドとコーヒー。
・・って、全然本とは関係ないけれど
単純にお腹が空いちゃったんです(笑)
卵サンドとコーヒー
切り口がばっちぃ・・(涙)
でも、食べちゃえば胃袋に消え
脂肪になってしまいますから大丈夫(笑)
ゆで卵をフォークで細かく潰して玉ねぎとか、
わけぎとか好きな葱類を刻んで混ぜて
マヨネーズと塩コショウ。そのまんまパンに
挟んでもいいし好みでカラシ入りマーガリンを
パンにぬって卵葱マヨを挟んでも。
好きな感じに淹れたコーヒーと一緒に。

「飲食男女」 豆腐餃子などアレコレ作って食べてみた

著者:アン・リー
監訳:南條竹則
発行:新潮社

図書館で借りてきた「飲食男女」

最近、めっきり活字離れ気味。
読みたい本は増えていくばかりなのに
なぜか読む気力がない。でも、食べ物が
登場する活字だったら、すぐ読んじゃいます(笑) 
この本はアン・リー監督の映画、『恋人たちの食卓』を、
監訳の南條竹則氏が小説にしたものです。
図書館で借りて読みました。

公開当時、銀座のシネスイッチで観た『恋人たちの食卓』
とにかく、この映画は食いしん坊には
たまらない映画で、主人公のひとりである
名シェフでもあり、すでに離婚し娘をかかえて
生きている老紳士のチュ氏が冒頭から美しい手さばきで
テキパキと娘たちのために料理を作る描写が
もう、たまらないのです。その後も、次女のチアチエンが
突然料理を作りたくなったと豆腐餃子を作るために
薄ーくお豆腐を切っている美しい場面や
チュ氏がサンサンのために作ったお弁当
三女のチアニンがボーイフレンドと屋台で食べているもの
最後の晩餐などなど・・・この映画はホントに
お腹が空いている時に観ると大変で、
しかも、微笑ましくてユーモアもあり
最後にはジーンとさせてくれるアン・リー監督の傑作でした。

そして、この映画の後を追いかけるように登場した
小説、「飲食男女」 この本が嬉しいのは、
レシピも載っているんですよね。映画のパンフレットにも、
珍珠団子(肉団子のもち米蒸し)のレシピを
載せてくれていたけれど、気になっていた
「豆腐餃子」のレシピも小説には載せてくれていました。
ほとんど、映画のままの小説なのですが、
映像があり、演者がセリフをいい、表情や
お料理の姿などがある映画と少しニュアンスが違い
小説としても面白かったです。映画では
ユーモアを感じる場面も、文字だけだと、
どことなく、真面目な場面に感じたり。同じ場面なのに不思議。
家族というものが、崩壊していくというよりは
みんながやっと、自立していく話でもあるのだけれど
それは、新しい人生の歩みの話でもあり
そして、案外、勝手な思い込みで結ばれているだけで
それぞれが、ほんとうは離れ離れになりたかったんだという
自由への扉のような話。最後に、味がわからなくなっていた
チュ氏の舌が、味がわかるようになったのは、
本来の自分に戻ったからなのかな。それとも・・・
さて、小説(映画にも)に登場したお料理たちです。

腸詰めとアヒルの盛り合わせ、鶏とフカヒレの煮込み、アヒルのガツとイカの炒め、小海老のそぼろレタス包み、鯉の甘酢あんかけ、クラゲと胡瓜のあえもの、豚腿肉の氷砂糖入り煮込み、菊花鍋、ツバメの巣のスープ、蛤の塩焼き、干貝と芥子菜の煮込み、蟹肉スープ小籠包、豚あばら肉の醤油煮、蟹肉と青梗菜のあつもの、シーユイの網状油かけ蒸し、海老とグリンピースの炒め、鶏の細切り炒め、苦瓜のスープ、大腸の醤油煮込み、白魚と野菜の炒め物、鴨の醤油煮の細切り、烏賊のリング揚げ、豆腐の炒めもの、祖庵豆腐、鯉を豆瓣醤で味付けした四川料理、鴨の油で炒めた豆苗、豆腐餃子、野菜の盛り合わせ、南瓜に詰めた鹿のあばら肉、鳩のそぼろレタス包み、浅蜊炒め、汽鍋鶏、海老のしいたけ詰め、渡り蟹のおこわ、高山茶、湯葉と椎茸と胡瓜と鶏肉で松鶴を描いた冷盆、東坡肉、蒸し海老、青菜と韮炒めもの、竹筒にいれた鳩のスープ、草魚の切り身の蒸しもの、富貴土窯鶏、四色冷盆、アヒルの腸つめ、仏跳牆、海老とキウイの冷盆、魚肉の巻き蒸し、豚肉の醤油煮、蟹の揚げ物、飾り彫り冬瓜を器にした排骨スープ、菊花小巻、三色豆腐、太爺鶏、芥子菜の牡蠣油炒め、牛肉のスープ、なつめ餡入り小麦粉の点心、小豆餡を糯米で巻いたもの、金華玉樹鶏、排骨の蓮の葉包み蒸し、口袋豆腐、春巻き、海老二種炒め・・・

うわぁ・・アタシって、喰い物に関して偏執狂?(爆)
いやぁ・・圧巻ですね(笑)
そういえば、映画では最後、チアチエンが片手で
軽やかに生地を動かし、クレープみたいに
一枚一枚焼いていく場面があったなぁ。
・・やっぱり、映画を思い出してしまうなぁ(笑)
全然読書感想じゃないよ・・これ・・・(汗)

・・って、ことで、豆腐餃子に挑戦しながら、
もち米団子とか、しいたけ詰めとか作ってみました。
でも、もち米がなくて、普通のお米で。
そしてしいたけ詰めは海老がなかったので
豚のひき肉にしました。

<豆腐餃子>
蒸して水分を飛ばしたお豆腐を薄く切って
豚挽肉、ネギ、生姜などなどを混ぜた具をのせ
水溶き小麦粉糊で三角に折ってくっつけるのだけれど・・
豆腐餃子1 豆腐餃子2 豆腐餃子3
なんか、上手くいかない・・・難しい(涙)
でも、煮ちまえば、食べてしまえば同じだから(笑)
豆腐餃子・・のつもり・・(笑)
中華スープで煮ました。
豆腐餃子4
やっぱり、はみだしちゃった・・(涙)

<珍珠団子>
でも、もち米じゃないので・・・
肉団子蒸し
ほんとは、もち米で蒸すのですが、なかったので
普通のお米で蒸してしまいました。
やっぱり、もち米の方が透明感もあって
すぐに蒸しあがって美味しいけれど、
案外、この普通のお米もいい感じですよん。
お肉と卵と塩コショウとお酒と片くり粉を
混ぜたものを、お水をしみこませたお米でまいて
蒸すだけなのに、中のお肉がとろふわ~。

<しいたけ詰め>
しいたけ詰め
本当は、海老のすり身と豚の背油を
混ぜたものを椎茸に詰めて蒸すお料理なのですが
海老がなかったので、これも豚挽肉で作ってみました。
お酒や卵、塩コショウ、などなど、
お団子を作る時の材料を入れればOK
椎茸の軸も刻んで入れちゃった。そして椎茸に
片栗粉を少しまぶしてからお団子の具をのせて
蒸した時に出たスープを別のお鍋にいれて
塩コショウなどで味をととのえて水溶き片栗粉で
とろみをつけて、上からとろりとかけて出来上がりです♪

後はお粥とか、野菜とか花とか適当に並べてみれば・・
肉団子とお粥 お花と野菜
全然・・・チュ氏家の晩餐会じゃない・・(汗)
というか、全部かなりオイリーです。また成長します(笑)

生協の白石さん

著者:白石昌則
   東京農工大学の学生の皆さん
発行所:講談社

なんだか、HPなんかを始めてしまって
一応掲示板なんかをおいてしまうと
アタシのような変なとこに気難しくて
心の狭い人間で、おまけに
優しくされると雲にも昇っちゃうほど
感情移入しちゃうほど感激屋さんという単純さなので(笑)
そうされると、ただただ「ありがとう」しか
ボキャブラリーがなく脳内カラッポなので
本当に管理人には向いてないなと、
つくづく思ってしまう。
だからといって、掲示板を外してしまうのは
なんだか、寂しい気もするので
細々と続けさせてもらっているけれども
この「生協の白石さん」を読んでいると
彼のような臨機応変のきく頭の回転がアタシにも
ほんの少しでもあればなぁと、憧れてしまいます。

本当に、生協の白石さんは頭がいい人。
センスがいいし、そして本当に頭がいいから
それらを自慢することなんか決してしない。
大学の生協にあるお客様カードに寄せられるものは様々。
本当にお店に対しての要望や改善してほしいところなどを
真面目に書く人もいるだろうけれども
たいていイタズラも多い。でも、
どんなアホらしい質問や要望にも
ユーモアを交え、読み物としても
一級品の返事を書いてくれるのが担当の一人である白石さん。
ただのお客様カードなのに、読んでいると
思わず、クスっと笑ってしまったり
なるほどぉ~と、感心してしまったり
中には、思わずホロっとくるものもあったり。
そして本の節目節目に
白石さんの本音の告白文のようなものもあり
それを読んでいると、彼の心根の良さを感じられます。
上手く言い表せないけれども、なんとなく
季節でいうと「春」のような人だなぁって感じました。

それにしても、ウチの近所の某スーパーにも
白石さんのような人がいてほしいもんです。
マジ、感じ悪いんです、ウチの近所のスーパーの店員たち。
そして、一応お客様カードもあるのですが
全然目立たないところにあって、
しかも、レジの人を名指しで褒めているお客様の声ってのを
わざわざ貼ってあって、それにアリガトウゴザイマスなんて
返答してあるのだけれど、どうも怪しい。
だって、あんなに感じの悪いレジの方を
いったいどこの誰が褒めるのでしょう?(笑)
しかも、わざわざ目立たないところにあるお客様カードに
褒めるためだけに書くかな?(笑)

まぁ、100歩譲って、稀に、そう思って書いた人がいたとしても
遠慮して貼らないと思う。どちらかというと
苦情の声に対して答えているのを貼るのが
感覚的にも普通だと思うのですけれども
なんだか、やらせの匂い。レジの人、自分で書いてたりして(笑)
アタシは、あのレジの方に一度もいい印象ないです。
できるだけそこには並ばないようにしますもん。
というか、そこで働いている人、みんな酷いです。
品だしの人なんか、客が商品さがしていてもどきもせず
目が合っても、めんどくさそうに睨むだけなんだよ。
なんだよ、おい。おまけにテメェの話に夢中でさ。客は無視。

なのに、買い物はいつもそこです(汗)
なぜなら、安いから(悲)
あう、そんなわけで、評判悪いところなのに
客だけは仰山いるのよね、いつも(笑)

そこで白石さんお願いです。このスーパーの方たちの
客への態度を一から教育しなおしてやってください!!
気持ちよく買い物したいです。ほんと。
助けて、白石さん(笑)

・・って、本の感想と全然関係ない愚痴ばかりのアタシ(笑)

 

ドクターヘリオットの猫物語

著者:ジェイムズ・ヘリオット
訳者:大熊栄
発行所:集英社


これもとある方のご好意で読むことが出来ました(ありがとぉぉ)

この本をめくると、小さな猫の足跡があって
「一歩一歩辿っていけば行く先々で
 いろんな猫にめぐり合えるでしょう」
と、記されているように
獣医師のヘリオット先生が出会った
様々な猫たちのお話と出逢うことができます。

どのニャンコの話も印象的だけれど
とりわけアタシは社交家の猫のオスカー
最初は瀕死の状態でどこのニャンコかも
わからないけれど先生たちがようやく元気にし
家族の一員になった矢先、本当の家族が現れて・・
その時の別れの心境はなんとも切ないのだけれど
その後、様子を観に元の家族の所へ行くとオスカーは
どこかに行っていた。どうもヨガ教室に行っていたらしいと言う(笑)
実はオスカーは社交好き。人が集まるところが大好き。
ダーツ選手権にまで顔を出していた社交好きなオスカー。
そして、久しぶりにヘレンさんの顔を観たオスカーは
一目散にお膝の上にのりゴロゴロ。
「憶えていたのね」と嬉しそうなヘンリーさんの声が
今にも聞こえてきそうな瞬間です。

他にもお菓子屋さんの猫の話や
猫施設の話、紳士とエミリーという猫の話などなど。
それから灯心草の中で見つかって、衰弱していた子猫の話
なんと、昔ながらの応急処置的なやり方で
オーブンで温めて治療するという場面に
ちょっとビックリしたけれども、どうなんだろう?
変にマネしたら恐いよね。そういえば昔
シャンプーした猫を電子レンジで乾かそうとして
猫が死んでしまった事件があったと思うのだけれど
そういうことを思うと、本当なんだろうか?
だって危ないよね・・??、と、読みながら、そこが
すんごく疑問でした。とりあえず本には、その後
回復したとあります。そして、そこの豚さんが子猫にお乳をあげて
子豚と一緒に育てたらしく、モーゼスという名をつけたその猫は
大きくなっても豚小屋で一休み。
その模様を描いた挿絵がなんとも素敵なんです。

それから死の淵から何度も蘇った猫フリスクと
癌の宣告をされていた老人フォーセットさんの話も切なくて微笑ましい。
自分の最期をしったフォーセットさんは
フリスクの里親さんを見つけ、寂しく1人。
布団をさすりながら、「あいつがここにいてくれたら・・」といい
「フリスク、フリスク・・」と最期の言葉を言って
死んでしまったフォーセットさん。
フリスクもきっとフォーセットさんを忘れないと思うな。うん。

そして、最後の話はクリスマスの猫の話。
ちょっと出来すぎかもしれないけれども、なんだかホロリと泣かせる。
この章を読んでいたら昨年から姿を消してしまった
道で毎日出会っていたニャンコを思い出して、
この本のデビーという猫と、いつも見かけていた
名もなきニャンコの姿がかさなってしまって・・(涙)

そしてやっぱりオリーとジニーの話。
奥さんのヘレンさんにはゴロゴロと近くまできてくれるのに
ヘリオット先生の姿を観ると一目散に逃げる2匹。
その時の悔しくも悲しそうな先生の顔が今にも浮びそうです(笑)
どうもオリーとジニーたちにとっては、先生は
自分たちを捕まえる恐い人というイメージがガッツリついてしまっているらしい。
でも、先生にしてみれば、捕まえて病気や毛玉の処理など
さまざまな治療をしてあげているだけで
なんの悪気もないのだけれどね(笑)
そのうち、哀しいことにオリーが突然逝ってしまう。
残されたジニーは警戒心が募るばかり。それでも諦めなかった先生は
ついにジニーのゴロゴロを勝ち取るのです。
その時の描写はなんだか読んでいてムツゴロウさんの
仕草を思い出すような状態でした(笑)

しかし、これはいつの時代の話なんだろう。
今は亡きヘリオット先生は、これを書いた時も
そうとうの歳だったかもしれないので、自分の若き日のことを
書いたんじゃないかなと思うと
きっとまだ、獣医師が意識が低かった頃の話で
たぶん治療法とかもそんなになかった頃かもしれない。
だからこそ、ヘリオット先生のような
動物のお医者さんは貴重だったかも。
本の中に登場する猫たちの絵がとっても魅力的。
そして、この本が数々あるヘリオット先生の本の遺作でした。

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